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長井長義公開フォーラム

公開フォーラム3

さきほど長野前会頭のお話しの中に、先生の薬物代謝教室では、麻薬の検査、取締りにも関心をもたれていて、エフェドリンと関係の深い覚醒剤のヒロポン(メタアンフェタミン)のことがでてきましたが、近藤、落合先生の研究室でミクロ分析に携わり、しかも渡辺先生は、長野先生の前任である広部先生のご示唆で、麻薬取締りの現場に飛び込み、ついにウイーンに所在する国際麻薬研究所に赴任され、現在も大半はウイーンのWHOの研究所で活動されています。渡辺敬三先生に、本日はご参加下戴いていますので、失礼ながら、指名させて戴きます。乙卯研究所、東大で元素分析に携わっていたころの、近藤先生、落合先生はじめ、諸先生の印象、そして国際的な麻薬取締りなど、などについて、どうぞお願いします。



渡辺敬三博士(国連麻薬研究所)
私は、1883年ウイーンの麻薬研究所に居を移し、以来日本には余りおらないため、事情に疎く、わかっていれば、ウイーンに置いてありま資料を取り寄せることもできましたが、このフォーラムのお話しが先日、原先生からあってから間に合わすことができず、したがって今日は、全く資料無しのぶっつけのお話しになります。
私は近藤、落合、津田先生のご指導を受けましたが、長井先生については、二代目の後継者である当たる近藤先生からは、あまりお聴きすることはなかったのです。つい最近静岡大学の学長を務められた広部雅昭先生から電話があり、近藤先生のお墓参りに行くから一緒に行かないか、とのお誘いがありました。熱海から広部先生のお車で西伊豆に向い、近藤先生の生家に行って参りました。近藤先生は長井教授の第一の高弟でしたが、私が

乙卯研究所におりましたとき、長井先生についてお話しになったことは殆どなかったのですが、実は私の父が東京薬学専門学校に学んでいた折り、校長は丹波敬三先生、そして教頭の長井先生の講義をも受けた、と聞いています。私は国連の麻薬研究所の研究室の正面の壁に、長井先生の肖像を、掛けているのですが、そこに日本の高校生がここ十五年にわたって毎年、見学に訪れます。日本における募金を国際的なNGOの活動資金としてウイーンにもってこられるとき、立寄られるのです。そのとき、高校生は七、八人ですが、まず麻薬の講義、つぎにカラー・リアクション(呈色反応)を実験させます。その中に徳島県からきた生徒がいましたので、君、長井先生のことを知っているか、と尋ねたところ、知りません、というので、それはけしからん、帰ったら調べなさい、といってやりました。
近藤先生がお書きになっておられるところによると、大学には馬車で乗り付けるのですが、さて一旦実験室に入るや否や真剣に学生を指導し、なかなか出て来られなかったそうです。長井先生は葉巻がお好きで、Lokomotiveがあだ名にもなっていたようです。
昭和三年、実は私が生まれた年なので、遠いむかしのことになります。長井先生は舌癌を患っておられましたが、丁度宮中では昭和天皇の即位戴冠の儀式が行なわれ、先生は、それに出られないというので、正式の礼服を着用、瑞宝章の勲章を付けて研究所の皆を集め、天皇陛下万歳、皇后陛下万歳と書かれた紙をもって、皆で万歳を三唱された。先生は三坪位いの小さい部屋であったが、そこにホフマン御夫妻の写真を掲げ、リービッヒの胸像が置かれていた、またホフマン先生から頂戴した白金のスパーテル(実験のさい薬品を採取する小さじ)と、ルーペがあった、と。近藤先生は、長井先生が大礼服を着用、感慨深げに少し横を向いたお姿を覚えている、とのことでした。そして近藤先生は、あの白金のスパーテルはいま何処にあるのかな。とおっしゃっていました。私の話しはこの辺で如何でしょうか。

コーディネーター:原 昭二
最近、乙卯研究所は創立100周年を前にして、「きろくときおく」(ITSUU Laboratory Notations and Remembrances)を私家版として上梓されましたが、そこには渡辺先生をはじめ、在籍された多くの方が、近藤、落合先生の在りし日を語られています。近藤先生の御弟子に当り、渡辺先生の恩師でもある石渡三郎先生も乙卯研究所と関係が深く、石渡先生は東京薬科大学薬化学教室を主宰され、学生が聴講する態度に厳しく、しばしば聴いていない学生にチョークを投げたという名物教授として通っていました。近藤先生が開拓されたアルカロイドを経て、落合先生が合成研究を展開された、含窒素へテロ環化合物は、薬化学教室で大きな展開をみせましたが、石渡先生の弟子に当たる板倉啓一さんは、アメリカに渡って、ヘテロ環化合物をコンポーネントとする高分子のDNA合成にチャレンジ、世界最初の偉業を成し遂げました。大腸菌のDNAに組み込むことによってヒトの成長ホルモンをつくらせるという「遺伝子工学」を展開したキーパーソンなのです。企業化されたジェネティック社は、この技術によっていまも世界に君臨しています。

このフォーラムの水先案内人である私は、東京大学薬学部薬化学教室で学び、長井先生の伝統の末裔と自任していますが、いま映写しているのは、元素分析と並んで、薬学、いや理学、工学、農学、生化学においても、研究室では欠かせない実験法となっている、クロマトグラフィーのカラムです。混合物の染料が、このガラスカラムの中を通過するさい、各成分に分離され、順次にカラム端から流れ出して行くさまを示す写真で、草野科学器械との共同開発によるものです。ガラスカラムは、外から状況がす

っかり見えるので、使いやすい利点がありますが、通常は高圧をかけるために、液体クロマトグラフィーではステンレスのカラムが使われます。クロマトグラフィーのカラムの性能は、理論段数という数値で表すのですが、このカラムの段数は、世界最高を誇り、ステンレスカラムにも引けをとりません。アメリカ、ドイツ、日本特許も取得しています。しかし販売されている草野科学器械の話しでは、営業には余り寄与していないとのこと、というので驚いています。品質が良いので、気に入られたユーザーは、シリカゲルを充填したこのカラムを上手に使い、長期にわたって使用しているようですが、修理に出しても新品への買い替えが無い、したがって営業として寄与するところが少ない、とのことでした。私としても残念に思いますが。そういえば、日本ばかりか、アメリカの有力な研究室でも、不可欠の実験装置として使っているのですが、使い方にもコツがあるので、よそには教えない、と言っていました。こまったことです。
クロマトグラフィーには、今紹介した液体をメディアとするものの他に、気体を使うガスクロマトグラフィーが使われますが、池川信夫先生は、島津製作所とのコラボにより、世界のトップをゆく技術を確立されました。
今から十数年前(1992年)のことです。ここ長井記念ホールで、薬学会主催で、Symposium on Molecular Chirality が開催されました。分子には左右があり、動物、植物を問わず、生物を構成するアミノ酸、また遺伝子を構成する部品でも、どちらか一方、例えば生体のアミノ酸成分はほとんど、圧倒的にL型から成り、でD型は僅少です。丁度左手と右手にあたる関係で、キラルであるといい、この現象をキライティーといいます。ところが非生体、例えば石油などを資源としてフラスコの中で合成すると、左右が等量の混合物となる、そしてこれをそれぞれに分割するには、複雑な手順が必要である。このころ私は、合成によって、クロマトグラフィーのカラム充填物にキラリティーを導入、確実に両者を分割する手法を開発しました。また左右のいずれかのみを合成する手法も進んできました。理学、工学、農学、医化学の方々に呼び掛けて、合成、分割(分析)を総合したこのシンポジウムを開催したのです。
 時期を得たといいますか、大きな反響を呼び、なんとこのホールは補助席を出す盛況で、五百人余りの方が集りました。このシンポジウムは、関係者の熱意によって、常に新しい領域を開拓しつつ、ことしは大阪大学構内で開催されました。解説が長くなりましたが、これがそのポスターです。

そしてもう一つ、草野科学の技術を担う、草野修君、お見えになっていると思いますが、是非パネルの写真を皆さんにお見せ下さい。そして部品を回覧して下さいませんか。これは、有機化学、無機化学にとどまらず、生物化学領域でも必須になった溶剤のエバポレーターです。実験室で昔から欠かせなかったのは、蒸発装置と器具なのですが、かつては水道の水を流しっぱなしに使う、水流ポンプがもっぱら活躍していました。ここにお目に掛けるエバポレーターは、擦り合わせたガラス筒を、気密のまま回転させるものですが、戦後に現れた、合成ゴムのOリングと擦り合わせガラスによってつくられています。日本で最初に完成させたのは、草野科学器械で、東京理化器械によって、市販にいたりました。

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